2016-04-07
今日は足のための病院へ行きました。雨でできる作業もかぎられており、行くにはちょうどよい機会でした。ひざの痛みは一時期より取れ、当初の原因であったアキレス腱の痛みもなくなりました。残っているのは足の神経のしびれです。神経障害性とう症というもので、それを治すための薬と、ひざの痛みを抑える薬が出ました。これでも直らない場合、神経を刺激する原因を正確に知るため、MRIに突っ込まれるらしいので、もうこれで終わりにしたいと思います。いや、終わってくれるかはわかりませんが、終わることを願っております。
その後買い物などをして、本日はGにおります。実はGで書いてます。GやJに来ているときは、NotePCを持ち込んで、その日の記事を書いてしまうことが普通です。今日はさえないので、家にいても仕事ができそうになく、何となくGの環境で体を楽な方に流すのでした。私の生活のうち、こうした体の防御策に使われる食費は・・・あんまりないか。一回500円しません。食事から出ている場合は別ですが、今日みたいに食事をしてからくる場合、500円かからず夜の数時間をすごすことができます。家で薬を利用して寝ているより、こうした過ごし方をする方が生産的なのです。リスクがないわけではなく、頭脳作業の弊害を起こすこともありますが、寝ているよりいいです。逆にですね、こういう過ごし方ができない人は、間違いなくうつ病になります。昔から言っているんですけど、体の大事な感覚が異変を起こしている人は、同じ世界を生きていても世界の感じ方がまったく違うので、それをうまく受け流す方法を知らないと苦痛で一週間も生きていられません。私はこうしたことでだいぶ差別的な扱いも受けてきたのですけど、私と同じ体になったらそいつは死ぬだろうと考えてきました。そりゃね、誰だって自分の体が壊れなければ、そんな世界があることすら想像できないし、その恐怖も知らないでしょう。でも、失明すれば目が見えないのと同じように、壊れる部分が壊れたら、その部分の感覚は、正常な人とまったく異なるものになるんです。人の認識の仕組みはおそろしく複雑ですよ。ま、そんなことはどうでもいいです。とにかく、考え方で世界の感じ方を変えることはできませんが、他のものに注意をそらし、自分の世界に没入しないことで痛みを和らげることができます。世の中ではこういう方法をひっくるめて認知療法と言うらしいですが、人によってはそれを病院でトレーニングを受けたり、カウンセリングを受けたりして身につけます。私は自分で自分を分析して身につけました。通常、私の病気を持つ人の7割はうつ病を持っているらしいですが、私はこうした術のおかげで、残り3割にいられます。うつ病になるより、夜の500円を払っていた方が、私は幸せだと思います。そんなものは健康のためのコストですよ。薬と同じです。もっと楽に、健康で生きられればいいと思いますが、こんな夜の時間も私は好きです。家に戻れば闇ですが、闇の時間が数時間減らせるだけでも幸せです。だからいつも言っています。幸せは大きなものじゃなく、小さなものの積み重ねだって。
ちょっと愚痴口書きました。こういうもんですよ。帰りたくないけど、やっぱり帰らないといけません。ああ、やだな、苦しい世界はイヤだ。本当はこんな愚痴、言わないんですけどね。もうわかりきっていることなんで、あきらめてます。毎日がこんな世界じゃなくなっただけ、ありがたいと思わなくてはいけませんよ。
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