誠意を伝えるために
2017-01-22


昨日23時過ぎに友人Tのお父様が亡くなったことを知り、本日告別式に参加してきました。もっと早くに連絡してくれてもよかったと思ったのですが、本人もどうするか迷ったらしく、友人内への連絡はあまりしてないようでした。意味深なTwitterを流していなければ、気付けなかったかもしれません。
私は友人Tとは小学生のころからずっと、途切れもなく付き合ってきました。遊びに行ってよく食事を出してもらい、ある時期はお正月になると友人Tの家に集まり、そこで料理をいただきながら、年が明けたら近くの神社を歩いてめぐるのがひとつの行事になっていました。友人Tの家が引越しをして、兄夫婦と新しい家に同居をしてからは、正月行事がなくなって、その分食事に行くことが増えました。相手がいくら食堂で、料理を出すことが好きだとは言え、毎度いただくばかりではどうも肩身が狭まる思いがしまして、今年からはお菓子を持っていきました。あら、大人になったのねと、友人Tのお母様に言われました。
友人Tが昔の家に住んでいたころは、よく下の部屋を借りてゲームをしていたものでした。冬になるとこたつがあり、夏場はクーラーで快適でした。友人Tのお父様は、自ら建設会社を営んでおりまして、あるときから下の部屋の一部を改装し、部屋を広げました。そこに事務機器を置きながら仕事をしている姿をよく見ました。我々がゲームをしていてもあまり気にせず、出て行けとも言いませんでした。部屋でくつろぐときも同じでした。友人が来ていたなら、楽しんでいきなさいと、そんなような方でした。
新居に移ってからは、顔が合ったときに挨拶するくらいでしたが、こうして考えてみると、私は友人Tの家に結構めり込んでいる存在だったような気がします。親同士も学校の付き合いもあり、今は直接会うことがなくとも、行くたびお母さんは元気 ? と必ず聞かれます。友人Tの家で食べるときは、お店で食べながらお話もするので、お母様とも私はよく知れた存在です。今回告別式に出るべく決めたのは、こうした深い付き合い、それも、私が子供のころからの付き合いがあり、毎度お世話になっているからです。普通なら友人の親が亡くなっても、式にまでは出ないかもしれませんが、私は友人Tとの関係をかなり特殊に見ています。
式のことは、お葬式ですので細かく書きません。でも、焼香する時に、喪主であった友人Tのお母様の目を見ておじぎをしました。事前にちょっとだけ挨拶もしたのですが、それよりも、目を合わせておじぎをしたことが、最も誠意が伝わったと思います。式はただの儀式ではありません。参加したことで、誠意を伝える意味があります。これからまたお世話になることがあっても、式を共にしたことが、きっと信頼を深めてくれることでしょう。相手の信頼を買うのではなくて、自然と生まれる信頼関係です。友人だからただ行ったのでもありません。誠意のやりとりがそこにはあります。
まぁ、でも、喪主の泣きながらの挨拶を聞いたり、皆涙しながら花を添えて出棺するその様子は、切なくなるんですけどね。決して楽しいものでもないし、見ていて幸せなことでもない。そりゃ葬式だからそうですが、こういう形で誠意を伝えるというのも、また一苦労あるのです。実は今回、私にとっては初めての身内外のお葬式でした。しかも一人で行くお葬式。大人になりました。
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